武 将 ゆ か り の 街  甘 楽

甘楽町 丸澤 直樹

江戸時代の甘楽町は小幡藩2万石の統治下にありましたが、1615年に藩主となったのは、織田信雄(のぶかつ)でした。織田信長の次男として、歴史に興味がある人は知っているかもしれませんが、武将としての評価は低いものの、能の名手として有名な人物です。織田家による小幡藩の統治は1767年まで八代にわたり続きました。
 その後、小幡藩は松平忠恒(ただつね)が領主となり、松平家四代目で明治を迎えます。松平氏と言えば徳川の親藩でありますが、忠恒の妻にはある戦国武将の血が流れていました。本で調べて驚いたのですが、その武将は関ケ原で徳川家康に敗れた石田光成でありました。ですから、松平の2代目から4代目にも光成の血が流れていたわけです。
 さて、小幡藩成立以前にも、国峯城を本拠とした小幡信貞が活躍していました。信貞は武田信玄の幕下に加わり、武田二十四将に数えられ、「上州の赤武者」として恐れられていました。ただし、武田氏滅亡後は織田氏・北条氏の勢力下に入ったものの、1590年には北条氏の没落と時を同じくして甘楽の地から去ってしまいました。その後の小幡領主は奥平信昌ですが、妻は徳川家康の長女である亀姫です。これも驚くべきことですね。

 もうひとつ、史実としての確証はないのですが、造石法華経供養遺跡にある地蔵菩薩は、細川氏ゆかりの者により建立された説があります。細川氏といえば細川ガラシャ、そして明智光秀につながる血筋です。
 このように、調べれば調べるほど、甘楽町は戦国武将にゆかりがあることがわかります。織田信長、徳川家康、石田光成、武田信玄、そして明智光秀(?)・・・。
 6月以降の群馬県内では、富岡製糸場等の世界遺産登録が期待されます。製糸場で明治時代を学んだあとは、甘楽町で江戸時代・戦国時代を感じていただければ、日本の近世・近代を知るうえで最高の体験となるのではないかと思う今日この頃です。

(広報『群馬自治』平成26年4月号掲載)