ま さ か の 縁

川場村 谷田部 兼光

まず、川場村との縁である。昭和42年東京都に就職したのであるが、同54年課長昇格で世田谷区へ出向。都市と農山村の交流をテーマとした『第二のふるさと(区民健康村)』構想に関わった。関東近在52市町村の侯補があり、同55年9月川場村を調査に訪れた。推薦に値するとの報告書を提出。徐々に絞り込まれ、結果川場村に決定した。昭和56年11月、我が国初の縁組協定締結となり、以後着実に成果を挙げてきた。当時の永井鶴二村長は、アイデア、バイタリティー豊かで、いち早く「交流」にも着目、ブルドーザの如く事業に果敢に取り組んでおられた。県議時代、椎坂トンネルの必要性を強調するなど夢のある、スケールの大きい政治家だった。また、当時の横坂太一議長(前村長)には、今でも時折お話を伺う機会があろが、矍鑠(かくしゃく)として、その発想の大きさやリーダーのあり方など学ぶべき点は多く、昔も今も大変お世話になっている。

 次に、関清現村長との縁である。協定締結後、紆余曲折を経て、昭和五59年9月建設工事に着手。同61年3月の完成まで川場に通いつめた。30代から40代初めの大事な時期だけに幸運だった。関村長は当時、商工会役員としての村内まとめ役と建設工事の協力業者役と八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をされていた。その頃から村長には何かと目をかけて貰い、現在も満足のいく仕事をさせて頂き、感謝の言葉もない。
 そして、中山弘子新宿区長との縁である。沼田市出身、沼女卒の才媛。奇しくも同時に入都したのであるが、それ以来おつきあい願っている。区長1期目は知名度も低く、仲間をあげて応援し、当選。2期目は磐石であった。今や、30万区民の信頼も厚く、立派な首長である。昨年、隣村の川場村職員となって、まず第一に挨拶にあがらせて頂いた。
 こうした方々とのご縁を大切に、川場村政にあることを意義深く、誇らしく思う今日この頃なのである。

(広報『群馬自治』平成20年10月号掲載)