独  り  言

勢多郡富士見村 S・K

広報紙作成に携わり早3年目。自分の作った文章とにらめっこする毎日にも大分慣れた。仕事柄、人の写真を撮る機会も多いが、広報紙に味付けしてくれるのは何と言っても子どもの笑顔だ。どんなにきれいな写真を撮ろうとも一つの笑顔に勝るものはない。「ハーイ、変なおじさんの方を見て」とお決まりのセリフを何度言ったことか。
 最近、世間では、少年少女の犯罪がよく取り上げられている。「現代の子どもは・・・」なんていうコメントを耳にするが、私はそうは思わない。確かにちょっとおませさんが増えた気はするが、レンズ越しにいつも見るダイヤの原石は、今も昔も不変の輝きを放っている。
 なぜ罪を犯してしまうのであろうか。一番の原因は大人であるような気がする。自分も含め、過保護に育てられた世代は、自分が一番かわいいと思っている。そんな親だから、自分の価値観を子どもに押し付ける。押し付けられた子どもは自分の理想像となり、「○○ちゃんは本当にいい子ね」なんて周りから誉められれば、あたかも自分が誉められているような錯覚に陥る。

 こうして更なる栄光を求めるため、要求や期待はどんどんエスカレートしていく。あっという間に善悪の区別も付かないロボットの出来上がりだ。本来、子どもには子どもの世界があって、そこには一定のルールが存在している。ある程度の手出しは必要でも、大人がいたずらに侵してはならない聖域だ。そこへ土足で入り込むような行為は、愚の骨頂である。自分を思い出してみようではないか。すぐに分かることなのに・・・なんて偉そうなことは言えないが。
 「他人の子どもばっかり撮ってないで、たまには自分の子どもも撮ってよ」と今日も飛ぶ妻の嘆き。上の子はもうすぐ2歳。全然家にいないダメ親父をママと一緒に毎日手を振って送り出すことが日課だ。「いつかはいいパパになってやる」と熱い思いを胸に秘め、今日も元気なダイヤの原石に会いに行こう。  

(広報『群馬自治』平成18年10月号掲載)