老 兵 は 死 な な い

吾妻町 小 池 勝 良

第二次世界大戦終結後、60年が過ぎた。
 終戦後、連合国軍最高司令官として赴任したマッカーサー元帥についての最初の印象は、面子(めんこ)の表面に描かれたB―29爆撃機を背景にレイバンのサングラス、コーンパイプの颯爽たる雄姿であった。日本を統治する最高権力者として、矢継ぎ早に実行した農地改革、財閥の解体をはじめ一連の改革は、その後の日本の各界各層に多大な影響を与えた。
 しかし、そんな彼も、朝鮮戦争の戦略方針をめぐり、昭和26年4月にトルーマン大統領から、突如解任される。その知らせは、参謀本部の作戦会議室で地図を前に説明中、副官に耳元で囁かれた。一瞬沈黙し、立ちつくした後、退室したと聞いている。グレゴリー・ペック主演の伝記映画の中では、賓客との会食中、夫人を通して解任を告げられるというシチュエーションになっていた。いずれにしても、「アイ・シャル・リターン」帰ってきた男は、約5年半で後任のリッジウェイ中将に道を譲ることになる。
 本国へ帰国後、上院議会に召還され、古い軍歌の一節を引用し、「老兵は死なない、ただ消え去るのみ」という言葉を残し、万雷の拍手を浴びながら降壇した。

 フィリピン時代の副官であり、北フランス・ノルマンディー作戦の連合国軍最高司令官であったアイゼンハワーは後に、第34代米国大統領となった。しかし、太平洋戦線の連合国軍最高司令官であったマッカーサーは、「老いた兵士は、戦場で死ぬことなく、ただ寂しく去ってゆくだけだ。」という心境を表現した言葉を残し、表舞台から消えていった。その立ち居振る舞いに、かって、昭和20年8月に厚木飛行場に降り立った時の雄姿はなかった。
 先日、車のパーツを購入し、取り付けようとしたところ、不具合があり、四苦八苦した挙げ句、諦めた。すると、25歳になる学生気分の抜けきらない息子が、部品を取り上げ、悪戦苦闘しながらも終いには完成させてしまった。
 その時ふと、私の脳裏に、マッカーサーの姿が浮かんだ。耳打ちしたのは、副官か、それとも夫人か。
 終戦の年に生まれた私は、今年還暦を迎える。
 私の退任はすぐそこにせまっている。


(広報『群馬自治』平成17年10月号掲載)