国  破  れ  て

鬼石町 四方田 公司

初夏の眩しい陽光の中、庁舎の屋上から周囲を見渡すと、北に向かって流れる神流川の両岸で途切れているほかは、緑なす山々に囲まれている我が鬼石町の中心部が一望できる。
 冬には枯れ木のようであった木々が、今は様々な緑に染まっている。川の流れを辿っていくと、藤岡市から赤城の裾野を経て武尊山まで展望できる。
 鬼石町は来年の1月1日から合併により藤岡市となる。鬼石町という名を使えるのも後数ヶ月となった。昭和29年の昭和の合併以来50年、歴代の町長や議会、そして職員が一生懸命に町づくりに取り組んできたはずなのに、なぜ合併しなければならなかったのか。生活基盤や産業基盤の整備、公共施設の充実、福祉・医療の拡充等々様々な施策を実施してきたのになぜと疑問に思う。

 財政再建、地方分権、自治権拡大、構造改革云々と理屈は解っているが、なにかこれまでの35年間の職員としての勤めが否定されてしまったように感じるのは僻みなのか。
 しかし住民の生活環境や福祉は嘗てと比べたら格段によくなっていることは疑う余地はないと思う。当然国や県の施策の結果でもあるが、それらに応えるべく市町村が限られた財源と職員で的確に対処してきたからであるし、又それぞれが独自で必要に応じて施策の展開を図ってきたからだと思う。
 人の欲望には限りなしと言うが、自治体にも同じことが言える。まだまだしなければならないことがある。その性質は変わっても、人がいる限り終わりはない。新しい市となっても市民のため、そしてこの緑を後世に伝えていくため、「自治とは郷土愛である」を胸中に、日々努力と思う今日この頃である。
(広報『群馬自治』平成17年7月号掲載)