群  馬  探  し

水 上 町   五百久 淳 志

 我が家の玄関には1枚の紙が貼ってある。上毛かるたの絵札44枚がコピーされ、「上毛かるた征服計画」と題されたA3用紙を2枚つないだ紙である。これは昨年の春に、家族で(と言いたいが、実際は私が独断で)決めた計画で、家では横文字Jomo carta Conquest Planの頭文字をとって「JCP」と呼んでいる。上毛かるたに詠まれた場所すべてに家族で行ってみようというこの試みは、かるた遊びを始めた長男と東京の築百数十年の家屋で育った由緒正しい東京原人たる妻に群馬をくまなく見せたいという、私の以前からの強い思いが生み出したものかもしれない。
 その直接のきっかけは、新聞の記事であった。吉井町の多胡碑が公開されるという。妻が聞く。「多胡碑って何?」そういえば上毛かるたに『昔を語る多胡の古碑』というのがあったが、よくは知らない。「知らないの?行ってみましょ。」行ってみた。よかった。群馬の歴史がそこにあった。
 昔読んだモンテーニュの『エセー』の中にQue sais - je?(私は何を知っているか)という問いかけがあった。「何を知っているか」「知らない」「ならば調べてみよう」と、すべての探求は始まっていくのかもしれない。

 よく考えてみれば、息子や妻に自慢するほど郷土群馬について知らない。これを機会に県内を隅々まで回ってみよう。ちょうど群馬には誇るべき『上毛かるた』があるではないか。これを元に巡ってみよう、と始まったこの計画が、我が家にとっての「群馬探し」ともなった。
 それまでも週末には車でよく出かけていたが、今度は新たな目標が出来た。ただし、無理をせずゆっくりと工夫をしながら巡ることを心がけている。たとえば、度々訪れる前橋では、買い物を済ませると、広瀬川沿いの遊歩道を歩き、交水堰を眺めて「糸のまち」の面影をたどり、文学館で「詩(うた)のまち」の歴史に触れたりしてくるのである。
 長男は帰宅すると玄関の貼り紙にマーカーを塗っていく。一度行ったところには黄色を、二度目にはピンク色を。数ヶ月たった今、絵札の半分には色が付いている。
 「今年は、『三波石と共に名高い冬桜』を見に行こう」「春になったら『花山公園つつじの名所』だね」「船津伝次平ってどんな人?」「ゆかりの場所に行ってみようか」
 今週末もまた、妻と息子たちと四人連れだって「群馬探し」に出かける。
(広報『群馬自治』平成15年1月号掲載)