ハングルから見る隣国

群 馬 町    中 島   武 夫

ハングル(大いなる韓の文字)は、15世紀半ば季朝第4代世宗王(せじゅんおう)が「愚民=文字を持たない一般大衆」のために作らせた文字である。記号のような文字はいずれにせよ、ウラル・アルタイ語系に属し、日本語とはそのルーツを同じくするもので、音はかなり似ている(例えば、都市はトシ、山はサンの如し)。特に、文型はまったく同じといってもよい。
 このハングルを外国語としてのみ捉えるのではなく、これを媒体として隣国を理解してみてはいかがか。
 古代、梅を越え人々は大いに行き交い、先進的な政治制度や技術・モノが大陸から半島を経て、わが国へ移入された。例えばそれは、鉄・須恵器・馬等やその製造・飼育技術であり、また、これらを伝えた人々は各地に住み着き、我々の遠い祖先ともなっている。群馬においても、甘楽(かんら)・辛科(からしな)・高麗(こま)などの名称から、その足跡を見ることができる。
 今日のような通信手段がなかった時代、移入・伝
は直接的な接見によるしかなく、このことから、まったくの私見ではあるが、恐らく当時の人々は、通訳無しにある程度、言葉を理解し合えたものと考えている。

 ただ、例えば、百済滅亡における「白村江の戦い」に、当時の群馬県地方を治めた「上毛野(かみつけの)氏」の参戦が日本書記に見られるなどのほか、特に中世以降、文禄・慶長の役、日韓併合、朝鮮戦争など、極めて残念な歴史的事象が多く、このことが、現代日本人の隣国に対する歴史観を歪めてはいないだろうか。
 元々似て非なるもの≠ナはない、「近くて遠い国」といわれた朝鮮=韓国。かつて、日本人が欧米先進国を追い求めたように、いま韓国の、特に、若者は「日本」を向いている。
 21世紀、より国際化が進む中、今後、日本(化)が原因となり、武力は勿論、文化による朝鮮=韓国の侵略など絶対にあってはならない。隣国理解のためにハングルを学ばれてはいかがか。来年はサッカーもある。
(広報『群馬自治』平成13年7月号掲載)