窓  口  に  て

子 持 村  小 宮  英 稔

「この制度(補助金等)は使いにくい」そんな話を現場にいるとよく耳にする。どうしてなんだろうかとその制度を吟味しても、それ自体にはこれといった欠点は見当たらない。むしろ、理想的なより良い状態に到達できるように、細部にまで丁寧に気が配られているように思える。では、どうしてかと間えば、肌に合わないといった答えが返ってくる。人の生活が営まれている現場では、土地独特の思想なり価値観なりが人を動かしており、正論と思える理屈も通らないことがままある。結局、制度に込められた国の目指す理想や配慮は、現場では却って敬遠されることもあるということのようだ。
  国の施策を慮ってみれば、理想的な目標を目指すためのものであって、個々の例外を想定して制度を作成するのは困難なのであろう。しかし、たまたま例外に当てはまった町村はどうすればよいのだろうか。無理に制度を活用すれば、国の理想は不十分に伝わり、町村の独自性も十分に発揮できないだろう。

 地方分権の時代では、町村は、国や県と対等の立場となる。制度における町村の裁量の余地が大きくなれば、種々の施策は、町村の独自性を発揮でき、非常に効果的なものとなるだろう。一方で、町村は国の一部であることに変わりはなく、独自性だけを発揮していたのでは、その集合体である国は成り立たない。ちょうど個々人が一つの家に仲良く幸せに暮らし、一つの家族を形成するように、町村は独自性を維持しつつ、家族(国)の一員としての責務を果たさなければならない。
 このバランスをどのように取るのか、今度は、それを町村が判断しなければならない。しかし、それができた時こそ、本当に特色のある町村づくりができたということではないか。

(広報『群馬自治』平成12年7月号掲載)